丹波布をたずねて

丹波布作家イラズムス千尋さん

丹波布については、私は殆んど何の知識もない。ただ、陶器が好きで、仕服につかうのに、時々古裂が出ると集めていた。そのしっかりした、それでいて柔らかな肌ざわりは、丹波の焼着物は勿論のこと、唐津やしがらきにもぴったりした。どんなものでも、集めてみれば、そこにおのずから一つの愛情がわく。

人間に着物を着せるように、これが似合う、いやあの方がいい、などといじくり回しているうち、地味ではあるがのどかな味わいの色、びっくりする程モダンな感覚の縞柄などに、無上の親しみを覚えるようになり、こんな布を織る所は、一体どんな土地だろうと、未だ見ぬ丹波におもいを馳せる時もあった。

丹波布だけは手に入らない

それに私は染織工芸の店もやっていた。日本の主な織物は殆んど集まっているのに、丹波布だけは手に入らない。古い裂を見本に、信州の方で織って貰ったが、しょせん本物の味はない。ある時、京都の帯屋さんにそのことを話すと、丹波布は今から三十年ほど前に、絶えてしまったが山奥のあるお寺の住職が、そのことを憂い、長年かかって復活し、少しずつではあるが織っている。「よろしかったら、御一緒に行きましょう、私も実は見たいんです」とさそってくれた。

昔の丹波布

ちょうどその頃、というのは、去年の春のことだが、私は出雲と鳥取へ行く用事があった。そこから山陰線で、裏日本づたいに出ればわけはない、話はたちまちのうちにきまり、帯屋さんと私は、丹波の柏原で落ち合うことになった。

出雲の旅はたのしかった。用事を果たしながら、玉造、皆生、大山などに遊び、米子から「出雲」に乗ったのは、予定も大分のびて、五月の二十日すぎ、野も山も青葉に照り映えて、いつまでもこのような旅をつづけていたいと思うのであった。

夕方、柏原に着く。約束どおり、帯屋のHさんが迎えてくれ、この町には、西垣和子さんといわれる、織物に熱心な方がいて、御親切にも案内してくださるという。そういっては失礼だが、大変都会的な、美しい女性で、「あんまり山奥なので、びっくりなさってはいけませんよ」などと、気をつかって下さるのも、馴れぬ土地ではありがたい。

目ざすお寺は、氷上郡青垣町という所にあり、柏原から車で三十分ほどかかるのである。丹波米で知られる稲が、気持ちよくのびた中を、北へすすむにしたがい、四方から山がせまってくる。青い山、青い田、青い森、いかにも青垣町の名にふさわしい。むろん、町とは名ばかりで、ほととぎすや郭公がしきりに鳴く。

手のかかる仕事

やがて、こんもりした森のかたわらで、車が止まると、そこがお寺だった。金子貫道師と、奥様が出迎えてくださる。日は既に落ちて、山寺の奥は深く、初夏とは思えぬほどの冷気にみちていた。

お座敷に、丹波布が二つ三つかかっている。最近の製作だという。貫道師は実に熱心な方で、はじめにも書いたとおり、三十年も途絶えていた丹波独特の技術を、わずかに残った老人達から根気よく聞き出し、なかば手さぐりで探求するうち、最近になってようやくめどがついた。

手のかかる仕事ゆえ、大量は望めないにしても、丹波布の美しさを世間に紹介し、そのよさをわかつて貰いたいと思うが、それにはどうしたらよいか、指導してくれといわれる。

私にはそんな力はないし、「指導」なんて柄ではないが、御相談になら少しはのれるかも知れない。何よりも私は、土地の織物に対する、師の愛情に打たれた。愛されて、できあがったものが、悪いはずはない。壁にかけた布は、作者の人柄を表わすように、真面目で、美しく、ぜひとも私の店に頂きたいと思ったが、それは先約があるとかで、残念だった。

その夜は遅くまで、お二人の苦心話や、よもやま話に、時の移るのも忘れたが、私はいつまでもあの静かな山寺の一夜を忘れないであろう。お手作りの山菜のおいしかったことも。西垣さんのひかえ目で暖かいおもてなしも。

そうして、翌朝、私たちは名残りを惜しみつつ、ほととざすの声に送られておいとましたが、その後、貫道師は約束をたがえず、製作の丹波布を送ってくださっている。

これで、私の願いが達せられたわけだが、その時相談を受けたことに、私は未だ答えてはいない。実は、何の知識もないままに、書くことをお引き受けしたのも、このような機会に、使う人、売る人の立場になって、ゆっくり考えてみたいと思ったからである。

丹波布の魅力が世間では理解されていない

丹波布
出典:丹波布 : 月下逍遥

さて、そんなわけで、年来の望みも半ば叶えられたが、半ばと書いたのは、肝心の丹波布が、思った程には世間に受け入れられないからである。たまに買うのは、ごく一部の趣味人で、一般にはわかって貰えない。だがお客というのは不思議なもので、知識はなくても必ず理解してくれるものである。

また此方としても、能書つきで、わかってなんか貰いたくはない。これはどこかに、現代人に向かない欠陥があるのではないか。勿論、伝統的な手法を、そのとおり伝えていくお仕事は、それはそれで大いに意味のあることだ。が、一般人の実用に供するというのは、これはまた別な大問
題といえよう。

この二つは、どうしても、わけて考える必要があると思う。そして、もし私に手伝いできるとすれば、その後者の方への注文並びに批判である。先ず第一に、現在作られている丹波布は、丈夫で、正直で、その点申し分はない。昔も、新しいものは、きっとこのとおりだったに違いないが、いかにも重く厚ぼったくて、今の所、ざぶとん位にしか使えない。広巾でも、洋服はムリで、せいぜいカーテンか椅子張りしか、利用の道はない。

値段が高く使用の幅はせまい

それにしては、値段が高いという欠点もあって、使用の幅は至ってせまいのである。昔、丹波布は、丁稚の夜具に用いられたという。主じの境遇に似て、それは手荒く扱われ、もみくちゃにされ、洗いざらされた後、はじめてあの柔らかい手ざわりと光沢を獲ち得たのである。

その一つ一つには、未だ子供っぱい少年達の、多くの涙と物語が秘められていることだろう。現代人は、せつかちだ。その上贅沢でもある。彼等が求めているのは、そういう、いわば、完成された織物だ。丹波布の忠実な復原ではなく、洗いざらしの美しさ、生活して来たもののいうにいわれぬ味である。

それがいかに心のこもった、正真正銘の丹波布であろうと、今できのものを買って、味をつけるだけのひまも愛情も彼等にはない。私には、貫道師の一途な情熱はよくわかるが、それが通じない人達もとがめることはできない。世間とは、いつもそうしたものであり、人はその壁にぶつかって努力し、進歩するのである。

三十年前に、丹波布が絶えたという事実は、需要がなくなつたことをしめしている。早くいえば、世間に捨てられたのである。どんなにいいものでも、それを音にかえしたところで、そのままの形ではむつかしい。再びいうが、私は貫道師のお仕事にケチをつけるのではない、それがもっとも尊敬に価いすることはお断わりするまでもないと思う。

が、ここまで完成された上は、もはや古い丹波の技法にこだわる必要はない。これまでの経験をもとに、単なる復原ではなく、いわゆる「丹波布」として知られている、あの古裂の感触と色彩の再現こそ、古い皮袋に新しい酒を盛るお仕事といえるのではないだろうか。

私は妥協をすすめるのではない、媚びを売ることを望むのでもない、後をふり向くのではなく、前へ踏み出すのだ。その時、生まれ変わった丹波布はほんとうの意味での創作といえよう。現に、私の周囲には、それに成功した例もいくつかある。丹波布に対して、あれほどの情熱をかたむけておられる貫道師に、私は無理な注文をしているとは思わない。

ものを愛するというのは辛いことだ。時にはすべてを捨て去ることをしいられるから。だが、禅宗のお坊さんに向かって、こんなことをいうのは、釈迦に説法というものだろう。たまには山奥の生活の純粋性を捨てて、悪と汚れに満ちた都会へ出て来られることを、私は切に望んでいる。

民芸作家への希望

木綿の主な産地は、九州では薩摩、久留米、四国で伊予、中国地は備前、備後、山陰に鳥取、島根などがあります。以上あげた産地は絣を主にし、そのうち上等品は、薩摩と久留米ですが、木綿でもそうした特殊なものは、絹より高い場合もあります。

先年、久留米の無形文化財の老人が、生活苦から自殺したのは、未だ私達の記憶に新しいことですが、そういうことが役人仕事の無責任な所で、文化財に指定されると、一級のものを作ることしか許されない。一月にせいぜい一反か二反では、いくら値段が高くても知れたものです。

絣について

それまではアルバイトに、比較的やすいものも織っていたのに、それができなくなって、自殺にまで追いやられたのは、何と同情していいか、言葉に苦しみます。

そんな正直な人間もいる反面、政治的手腕でもって文化財になりすましている連中もいるという工合で、この世界にも矛盾や不条理はたえません。その中から、正直なものを見つけるのが、私達のつとめであり、たのしみでもある、結局そういう所に還りますが、文化財という名まえにおどかされることはありません。

文化財でなくても美しいものは沢山ある

その一つに、鳥取の絣があります。これは柳悦博さんの指導により、古い伝統の上に、新しく作り出された織物です。ふつう木綿は市販の糸を用いますが、これだけは昔ながらの手つむぎで、その為木綿の欠点である、跛になるというおそれがありません。むろん大量は望めませんが、地風もよく、柄もよく、近代的でもあります。

普通品は、備前、備後などで、これは野良着に使われます。緑の田や畑の中で、本綿絣の赤だすきを見るほど、のどかな風景はありません。東京近郊では、少なくなりましたが、旅行などしてそういう景色に出会うとき、気が安まるおもいがするものです。

安い絣は、むろん機械で染め、機械で織りますが、高いものがある一方にこうした手軽な木綿があるのも、有難いことです。自然に生まれたものはいつも美しい。労働にもおしやれがともなって、悪いはずはありません。いや、すべての美しいものは、実用からはじまるといっていいでしょう。

この頃は、まるで展覧会用の絵みたいに、展覧会向きの着物も見られますが、着て美しくないものなんて、着物の中に入りません。それに比べたら、本綿の野良着の方が、どんなに魅力があることでしょう。これは洋服に利用しても面白いものができます。

絣は、カスレているから、かすりというのですが、糸を手でくくるのと、機械で染めるのと、両方交ったやり方もあります。それにもう一つ、白い布地に、型をおいて染める方法、これは染めものの中に入りますが、それでも模様として、辛うじて絣と呼べないこともありません。

手でくくるのにも、いろいろなやり方がありますが、しぼりと同じように、くくって藍につけたとき、その部分が染まらないで自く残る。それが縦横に交錯して、文様を織り出していくのです。が、手でくくった絣はどうしても、いく分不規則になる。藍のにじみも出てくる。木綿絣の面白さは、そうした所に見出されます。

機械染めと手くくりとの区別

機械染めと、手くくりとの区別を見わけるのは、一般的な場合は、さしてむつかしいことではありません。たとえば十字でも井桁でも、一つ一つの絣のカスレエ合が違っていれば、手でやったもの、ハンコで押したようなら機械染め、そう思って間違いありません。

大した違いはないようでも、前者はそこにおのずから立体感が表われるのに反して、後者はいかにも平板に見える。まして染めてある場合は、よけい平べつたく見えるのです。

はじめは南方から渡ったとはいえ、極度に発達した絣の技術は、日本が誇っていいものの一つです。そのやり方も幾種類もあります。

  1. くくり絣
    じめきり絣ともいう。計算された寸法に、印をつけた所を手でくくり、染料につけると、その部分が自く残る。そうして染めた経糸と緯糸が、
    交錯する所に、美しい絣が織りあがるのです。
  2. 織じめ
    こまかい絣は、染める場合糸があそぶので、はじめにスダレみたいに織ちてから染め、それから縦糸をぬいて、再び織り直す。三度の手間がかかるわけです。
  3. 板じめ
    ふつう板じめというのは、布を板にはさんで染める方法ですが、これはそれとまったく同じ方法で、糸を染める場合に行なう、簡単なやり方です。村山大島紬は、これで染めています。
  4. すりこみ絣
    しばって染めるかわりに、染料をすりこみます。くくり絣と併用することが多い。
  5. 捺染絣
    銘仙など、主にこの方法で染めます。一名、ほぐしともいい、横糸に仮の糸を使って、織りながらそれをほぐしていく。そうすると、糸が動かないからです。また、同じ理由のもとに、糊で縦糸をかためて、染める場合もあります。
  6. プリント
    ほんとうの絣ではなく、つまり織物ではなく、絣文様を型染めしてあります。この頃は、よくできたのがありますが、平板なので、すぐわかり
    ます。

藍につけて染めた絣が最上とされますが、化学染料の場合は、色がすきとおっていない。藍については、後に専門家の方達に、くわしく話して頂きますが、これな日本の着物と切っても切れない関係にある染料で、ことに木綿やゆかたとは、あのほのかな香りと相侯って、どうしても切り離して考えるわけにいきません。

自分で見わける

商人というのは、ぬけ目のないもので、この頃は、化学染料に、藍の匂いまでつけている。嗅いでみて、藍の香がするからといって、安心するわけにはいきません。やはり自分で見わけるより他ないのですが、天然の藍の色には、いうにいわれぬ気品があり、浅いなら浅いなりに(このうすい色には「瓶のぞき」という美しい名まえがあります。

ほんの少し、藍瓶をのぞいた、という意です)、また濃いなら濃いなりに、透明な、それでいてどっしりした落着きが感じれます。藍の欠点は、色が落ちることですが、それもほんとうに落ちるのではなく、上側に残った粉末が、新しい間は落ちつかないので、洗ったりこすった場合、とれるにすぎません。

ほんとなら、少時手を通さずにしまっておくに限りますが、性急な現代人にそんなことを望むのは無理でしょう。ビニールをかけることも考えられますが、そうすると、色がにぶるという欠点もあり、ここにも将来における課題は残っているのです。が、完全に処理されたものは、それ程落ちる心配もない。

好きな人にとっては、その位の欠点など物の数ではないでしょう。それより、洗いざらした藍の美しさ、これはまた格別なものです。この頃はアメリカ人の中にも、そういうよさのわかる人がいて、私はびっくりすることもあります。が、洗いざらしたものには、着なれたトウイードと同じ味があるのですから、彼等の好みとまったく無縁なものではありません。

洗いざらした藍の美しさ

それには、人目を驚かす美しさはありませんけれども、長年つき合って、つき合いぬいた友達のような、気のおけないたのしさがあるのです。

その他、三河木綿というのもあります。ここは帯芯のようなものが有名ですが、時には模様ものも織ったようです。関東地方には、銚子方面、そのほかにも真岡というゆかた地があります。

モウカと発音し、栃木県の産ですが、今では名前だけが残って、真岡といえばゆかた地一般のことを指しています。他の織物同様、これもあまり安いのはすすめられません。

ちぢむ上、厚地なので、暑苦しくてかないません。少し値段ははっても、細い糸のビタッとしたもの、そういうゆかたの方が気持ちがいいし、長持ちもします。


この記事に使用している写真は、丹波布作家イラズムス千尋さんの画像を出典させていただきました。

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