大島紬は、紬というより平絹に近い

糸を紡ぐおばあさん

織物の特徴は、先に糸を染めてから織るということです。自地に後から染めたものと違って、だからシンから染まっている、そこに、深みと味が生まれるのです。

紬は、そういう方法で織りますが、銘仙も、はじめは紬の一種でした。今の銘仙とは似ても似つかぬもので、信州の手織紬に近いように見えます。後に安物を売りだして、まじめな銘仙のよさを失ちてしまいましたが、にせ物をつくったが為に、本物までダメにしてしまう例はいくらでもあることです。

銘仙とは

この銘仙は、染料も非常に安くて悪いものを使った為に、太陽に乾しておくと、その中にある色だけが破けたりしたことがあり、安い粗悪品の恐ろしさを見せつけられました。が、買う人がしっかりしていればそうしたことも未然にふせげるわけで、それにつけても物のよしあしを判断する眼は養っておきたいものです。

銘仙を、土日のような大衆的な、まともな織物に還そうと思って、一生懸命になっています。産地の伊勢崎には、まじめな織元さんがいるので、その人に頼んで古いのを見本に出して織ってもらうことができますが、やはり絹ものだけに、そんなに安くはできません。が、紬よりはずっと安価で、手織ですから、ときどき面白いものができてきます。

織物は養蚕の盛んな地方で生まれる

銘仙の産地は、伊勢崎とか足利、秩父といった所です(にせ物をこさえたのは別の所です)。その地方は、繭の産地で、昔は交通が便利でなかったためどこでも土地の糸を使いました。結局、織物は、養蚕の盛んな地方で生まれるので、逆にいえば、土地の貧しい所ほど熱心だったわけです。

半農半桑という生活では、いいかげんになりますし、結局、結城や伊勢崎みたいな所が発達する。もっとも昔は今ほどではなく、自家用の織物を売っているうちに、次第に有名になったものと見えます。

黄八丈は、八丈島で織られる良質の織物で、かりやす(黄)、まだみ(茶)、椎(黒)の三種類の植物染料をつかって、一縞か格子に織り出します。黄八丈だけが有名ですが黒八というのもあり、昭和中期頃、流行したことがあります。他の織物同様、文化財に指定され今でも上手なお婆さんがいて、テレビに出たとき、「こんな所では淋しいでしょう」と聞くアナウンサーに、「糸と毎日おしゃべりしてますから、淋しいことはない」と言っていました。

一生、糸とつき合い、糸にふれていれば、糸もついに口を開かずにおりますまい。何か、一神代の物語にふれるような話だと思いました。本当の人丈はやわらかく、薄くて、着よいものですが、これも銘仙と同じように、内地で真似され、悪い品物が出回った為に、いくらか人気をおとしたようです。

くれぐれも、そういうことは、私達が、気をつけなければなりません。悪貨は良貨を駆逐するといいますが、こうした場合は、両方ともダメになるので、馬鹿げたことだと思います。

銘仙が、産地以外の所でつくられて失敗したのと反対に、どこまでも手のかかる伝統的な方法を守って、成功したのは結城紬です。地方地方に紬はあっても、全村組織だって、かなりな量が作られ、しかも質を落とさずやっているのは、みごとな事業といえましよう。

大島紬も、その中に入ります。これは紬というより、平絹に近く、なめらかで光沢もありますが、はじめは紬風であったものが、明治以来このように変わったのではないかと思いますが、大島紬は、近頃、特徴を失い、有名なわりには、魅力のない織物になりました。

現在では糸も本州から持って行っていると聞きます。今のうちに改良したいものの一つです。元は琉球から、奄美大島、そうして薩摩にわたったので、大島紬、又は大島絣とも呼ばれますが、糸を染めた後、鉄分をふくむ泥につけ、これが媒染と補強を兼ねています。が、本来の方法でやったものは少なく、今ではいろいろな色を使っていますが、いや味なものです。

大島紬は泥染めか藍大島にまさるものはない

絣も、本綿ですと、限度がありますが、絹だと糸も細いし、きれいにも染まる。こまかい模様が、驚くほどの精巧さで織り出されていきます。が、時には精巧すぎて、機械織かと見まちがうのもある。そういうのに限つて、値段も法外に高いのですが、あまり技巧に堕したものはかえってつまりません。

文化財として、保存するにはふさわしいが、着るのにたのしくはない。「名工は鈍刀を使う」といいます。きものも、そのような、余裕のあるのが理想的で、高いのがいいといっても、稀少価値だけの為にはらうのはいらざる浪費といえましょう。絣も、こまかいのはせいぜい亀甲か、蚊がすりにとどめて(これには、無地もののおもしろさがあります)、レースみたいなのは避けた方がいい。

結局、見せびらかすだけのことに終わるからです。大島紬は、はじめ琉球、久米絣のイミテーションでしたが、模倣の域を脱しています。その大島紬の、そのまたイミテーションが、村山大島と、米琉といわれた、山形県米沢の銘仙様の紬です。米沢琉球という意味でしょう。さすがに質は落ちましたが、米琉はイミテーションとしては立派な方で、まじめな織物でした。

が、どういうわけか、この頃はあまり市場に現われません。イミテーションでなくても、交通が発達するにつれ、近頃は絣の文様も、互いに真似しあって、結城紬みたいな大島紬、大島紬みたいな結城紬もあり、それぞれの特徴を失っていくのは惜しいことです。

やがてはゆきづまって、共倒れになりはしないかと、よけいなことを心配しますが、考えてみると、自分の個性、あるいは持って生まれたものを、あっさり捨ててかえりみないのも日本人の特質といえるかも知れません。だから進歩もするのでしょうが、それもものによりけりで、自分あっての上の変化であり、模倣であってほしいと思います。

ふだん着が紬

紬というのは、本来ふだん着です。おしゃれ着と申しましょうか、着馴れて、やわらかくなり二、三度洗い張りした時が、一番美しくなります。
昔は、贅沢な人が、結城を寝巻にしたというのも、そういう所から出た話で、だからといってわざわざ寝巻に着る必要はありません。はじめた人はそれでもいいが、わざとするのは、おしゃれには禁物で、おしやれの道徳は、平凡なこと、なるべく目立たないこと、ようするに、「鈍刀を使う」ことにつきましよう。

紬の特徴

はじめは、ビカピカしたものを、本能的に好むのも、土人の趣味を見ればわかることですが、次第にいやらしいと思うようになる。光らないでいて、光ってくるもの、いわゆる底光というものに関心をもちはじめます。外は木綿のように見えて、着心地は絹、しかも一雛一がよらないのが紬の特徴です。

結城紬でも、洗いざらして、やつれてくると、下から深い色が出てくる、それが、全体の基調をつくつているのです。そこに黄色だとか、茶色、自の絣が入るというようなことで、大へん魅力のあるものになってきます。焼きもののひじょうにいい色を見ているような感じです。

ふつう紬が一万円、結城紬や大島紬の絣が何万円もするというと、高いように思われるかもしれませんが、ちりめんの四倍、五倍は十分着られます。ことに結城紬ならば、どこへ行っても立派なもので、ふだん着ではあるが、よそゆきにも使える、買うときは高くともかえって経済的といえるのです。

結城紬といっても、近頃は結城ちぢみの方が多いようです。平織が本来の形なのですが、糸の質によほど注意しないと、アラが見える。織るのもむずかしい。それがちぢみだと、凹凸があるので、ごまかせるからです。しかも値段に変わりはない。職人としては、しぜん安きにつきたがりますが、そういうごまかしから結城を救うのも、お客の側の責任といえましょう。

このやり方は、ちりめんと同じ方法ですが、結城ちぢみは本当は単衣だけのもので、単衣ならさらつとして、気持ちのいい織物です。袷はちょっと場違いの感じがします。

もう一つ、結城紬を買うとき注意しなければならないのは、いくら結城紬がいいといっても、織り手によって違うことです。上手な人が織ったものは、薄くて、目がつんでいて、ピタッとしているが、下手なのは、厚ぼったくて、重く、ゴリゴリしていて、絹織物の光沢はぜんぜんない、同じ値段ですから、それを見わけることも必要です。

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