大島紬の着物に仙台平は地味なので宝尽くしの刺繍をする

吉原傾城新美人合自筆鏡

初夢、初芝居、初荷、初市、初釜、書き初め、弾き初め、歌会始め、稽古始め等々、新年の季語には「初」や「始」がつくものが多い。なるほど、この文字をつけるだけで、気分がしゃんとしてくる。言葉の力というものか。いつもと同じことをおこなうのでさえ、心が改まる。

父が存命中は、新年に父の謡初の声が階下から聞こえた。晩年、ようやくゆったりした気持ちで謡を稽古していた父は、正月はとりわけ怠け者になって屠蘇の気分で謡初をしたに違いない。

大島紬の着物に仙台平の袴

先生のところで稽古始めや初ざらいがあるとなれば、いつもの大島紬の着物に仙台平の袴をつけて舞台に上がったであろう。舞台に上がることが多くなれば、また着物や袴を仕立てよう、と思っていた矢先、自血病で亡くなった。

父も私も下町育ちである。私には両親がそろっていたが、父は生まれて間もなく父親を病気で亡くした。顔も覚えてはいなかったようだ。私は大学院まで出させてもらったが、父は中学に進学することすらままならなかった。祖母が裁縫で子供たちを育てていたからである。

父は本郷の本屋に丁稚に入った。その本屋に、ある日巨大な職が立った。石川達三『蒼眠』と書かれてあった。昭和十年、第一回芥川賞の職である。「文学の時代がやってきた」と、晴れ晴れした気持ちで峨を見上げたという。父はそのとき、十三歳だった。

着物として仕立て直し父の袴を帯に

そういう父がようやく仕事からリタイアして旅行をしたり謡を稽古したり、という時間を持つようになったのだが、それはあまりにも短かった。そのことを思うたびに、私の心は悔恨の痛みでいっぱいになる。なぜもっと早く好きな時間を過ごさせてあげなかったのだろう。なぜもっと支えてあげなかったのだろう。なぜ私は……と。大切な人の死とは、そういうものだ。

その父の着物を私は自分の着物として仕立て直し、父の袴を帯にした。着物、あるいはもっと広くとって布とは、私にとって単なる「もの」ではない。それを身にまとった人の魂(言葉を換えれば共有した時間、想い、記憶)がそこには移り住んでいる。しかし大島紬の着物に仙台平はそのままでは地味すぎるので、そこに「宝尽くし」の刺繍をしてもらった。

刺し手は母の友人で日本刺繍家の森喜美子さんである。こうして、袴だった帯は死者の思い出という意味を超えて新しい生命を与えられ、正月にもっともふさわしい「おめでたい」布に変身したのである。父の形見でありながら、思い出の中に歩みをとどめるためのものではなく、ふたつとない私だけの帯が誕生した。着物はこういうことが面白い。

中国の宝尽くし

「宝尽くし」という文様である。おめでたいと同時に、童話的で楽しい。宝尽くしは中国で生まれた。中国では宝珠(貴重な珠)、分銅(おもり)、雲珠(珠の形の雲)、丁子(クローブ)、金嚢(黄金で満たされた袋)、宝巻(貴重な巻物)、七宝、角違い(四角が重なったもの)の八宝等々だった。

丁子つまリクローブは丁香ともいう。これは香辛料としてなじみ深いが、かつては薬でもあった。人間の身体に重要な役割をしていた「宝」だったのである。宝巻とは巻物のことで、高い知識の象徴である。七宝とは、五つの輪を組み合わせたときに四つの角にできる輪を「四方だすき」または「十方」といい、それがシッポウとなった、といわれている。これは、宇宙の基本的な五つの要素が組み合わさった、豊かさの象徴だった
のである。

中国から輸入された「名物裂」にも宝尽くしが見える。名物裂というのは、海外から入った貴重な裂のことで、茶の湯で使われたものである。その名物裂の中に、明の時代に作られた宝尽くしの布がある。「伊予簾緞子」といわれるものだ。江戸時代の茶人、小堀遠州が「伊予簾」という名の茶入の袋に使っていたため、このように呼ばれた。

伊予簾緞子

「伊予簾緞子」の複製の筆者の帯

地紋に中国で生まれた、宝珠や分銅や丁子や宝巻などの宝尽くしの文様が見られる。
吉澤織物

 

黒練緯地松竹鶴亀宝尽模様縫腰巻

黒練緯地松竹鶴亀宝尽模様縫腰巻

宝尽くし文様がちりばめられた江戸時代の小袖
国立歴史民俗博物館

この布は大柄の縞と金糸の石畳文様とが文様織りされていて、そこに八宝が、やはり金糸で織り込まれている。私はその伊予簾の複製品を帯地にしたものを発見し、珍しいと思って購入し、たびたび使っている。宝尽くし文様は江戸時代ではよく使われたが、今はあまり目にしないのである。

日本の宝尽くし

そして中国の宝尽くしが日本に入ってきた。日本の宝尽くしは、中国のものとずいぶん違う。たとえば、打てば望みのものが出てくる打出の小槌(魔法の槌)、着ると自分の姿が消える隠れ蓑、被ると姿が消える隠れ笠、鍵、方勝(首飾り)、金嚢(巾着)、七宝、丁子、蓮華― ―これらが日本の「宝」である。

「宝尽くし」はアジア共有の文様だが、日本では民話がそこに反映され、打出の小槌や隠れ蓑が加わり、日本化されたのだった。袴に縫い取られたのは、その日本の宝尽くしである。

隠れ蓑、隠れ笠、打出の小槌、日本の宝尽くしはこの三点が特徴で、とりわけ目立つように大きく文様化される。中国の宝尽くしには決して現れないものたちである。しかしまた、中国と共有する巾着、丁子(先のとがった筒のような形)、宝珠共栗のような形。炎が立ち上っている形が多い)、七宝も見える。

江戸時代の松竹桐鶴亀を全体に刺した濃茶色の小袖がある。松竹桐鶴亀の間には、隠れ蓑、隠れ笠、打出の小槌、丁子、宝珠、巾着、鍵(取っ手にかぎ型の棒がついたもの)が配置され、まさに日本の「宝」をすべて集めている。また、隠れ蓑、隠れ笠、打出の小槌の三点に、中着、宝珠を加え、さらに七宝、分銅(くびれたところに玉を抱えた形)、宝巻という中国的な要素を加えて八宝にしてある小袖もある。

このように隠れ蓑、隠れ笠、打出の小槌を中心に組み合わされる宝尽くしは江戸時代の着物にずっと引き継がれてゆく。桐のかわりに梅が加えられたり、亀甲や曲玉が加わることもあった。

またときには宝ひとつだけが文様になることもある。北尾政演(山東京伝)が「吉原傾城新美人合自筆鏡」で描いた丁子屋の雛鶴という花魁は、大きな宝珠だけを散らした豪奢な打ち掛けを羽織り、ふたりのかむろが同じ文様の振り袖を着ている。遊女は打ち掛けに様々な吉祥をまとった。

遊廓は都市の季節を司る一種の聖地であり、遊女は吉祥をまとうことによって吉を呼ぶ役割を担っていたからである。そういえば仙台平の帯には梅の花も見える。

黒練緯地松竹鶴亀宝尽模様縫腰巻と黒練緯地宝尽模様縫小袖
右:「黒練緯地松竹鶴亀宝尽模様縫腰巻」部分。松竹桐鶴亀の間に、隠れ笠、隠れ蓑、巾着、丁子、宝珠、打出の小槌、鍵の文様。

左:「黒練緯地宝尽模様縫小袖」部分。打出の小槌、分銅、巾着、隠れ笠、
七宝、宝巻、宝珠、隠れ蓑の文様。

参考:国立歴史民俗博物館

北尾政演画「点憂纏場新美人合自筆鏡」

北尾政演画「点憂纏場新美人合自筆鏡」。
右の丁子屋の花魁雛鶴とかむろたちが、宝珠の文様の着物を着ている。

参考:千葉市美術館

着物の着こなし

お正月になると思い出すことがある。ある年の元日、テレビをつけたとたん、ずらりと若い女性から年配の女性までが、着物を着て並んで座っていた。その瞬間、私は「えっ?」と釘づけになった。顔を見ると二十代から六十代ぐらいの女性である。しかしみな同じ着こなしをしている。着物は違う。

衿のこと

しかし違う着物が違って見えないほどに、まったく同じ着付けをしている。これはどういうことか。座敷に座っていたので、上半身しか見えない。そのとき何が「同じ」に見せたのかというと、衿である。襦袢の衿と着物の衿(正月や儀礼的な機会であれば、伊達衿がそのあいだに挟まる)の重ね方や開き具合が、寸分たがわず同じだったのだ。衿は、前から見た開き方と、横や後ろから見た衿の抜き方とで、その印象が変わる。

たとえば二十代の未婚の娘さんと四十代の女性と七十代の女性とは、それぞれ衿の開き方が違っているはずで、それが年齢ごとの「清楚」や「余裕」や「成熟」といった表現をつくる。

年齢だけではない。顔の輪郭、肩の線、髪型、着物の種類、そして本人の好みによって、衿の開き方は異なる。近い年齢の人が五人いても、五通りの雰囲気が出るはずなのだ。

しかしそう考えない人(この場合はテレビ局に派遣された着付け師)にとっては、誰が着ようと寸分たがわず同じに着せられたら、それは技術的勝利! ということになるのだろう。とくに短い時間で何人も着せるとなると、御本人がどういう人かなどと考えていられないし、意見を聞いている暇もないだろう。

着付けも既製品の時代だ

着付け教室がそういう指導のしかたをしているのかいないのか、私は行ったことがないので知らない。しかし着物の着付けができるようになったら、次にすることは「観察」ではないかと思う。

映画や写真や絵画繁現見て、「自分はどうありたいか」を探す。真似してみる。失敗する。が、めげずにまた真似してみる、の繰り返しで、自分の好みができあがる。衿は首の前だけでなく、首の脇をどう開けるか、後ろをどう抜くかの、三か所がチエックポイントだ。これは顔の輪郭や肩の張り具合や好みによる。

次に、襦袢や伊達衿をどのくらい出すかも、衿の色や文様、季節やその日の温度によって変えることができる。私は祖母の着物姿で好みの基本ができたらしく、若いころから広くゆったりと開けている。何より、着物を苦しそうに着るのが嫌いである。

しかし作家の故・宇野千代さんは九十代でも、衿をぎゅっとつめていた。これが彼女のかわいらしさを引き立てていた。

まとめ

着こなしの目標は、「自分のいいところを出す」ことに尽きる。

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