現在の日本の織物は、外国の織物の真似

古布 木綿 刺子

弥生式や縄文土器の底に、織物らしいものがみられたり、古墳からも発掘されていることから、日本の織物の歴史は、この頃までさかのぼることができます。大陸文化の影響を受けて作られるようになったのでしょう。

古墳から、絹らしいものが発掘されるので、絹が最初の織物ではなかったか、という人もありますが、古墳が豪族の墓であるという事実その他を考えると、一般庶民の間では、フジヅルや麻を織物に使っていたと思われます。

平織が大多数をしめている

織り方は比較的単純で、平織がその大多数をしめています。あや織などは、大陸から入って来たもので、はじめのうちは、そう多くはありません。外国の織物の色が、比較的単純なのに比べて、日本の織物は、一見非常に地味でいながら、ク知らない奴はわからないだろうクといったような、複雑な色の組み合わせをしています。

わざわざ色を殺して、ちょっと見てわからないようなしくみをしているのです。どうして、わざわざ、そのような織りの組み合わせをするのか

例えば、
上からの何らかの圧迫に対する防御なのか、はっきりしたことはわかりませんが、一見地味にみえる織物も、三百倍ぐらいに拡大してみますと、非常に多彩なものです。

はじめは、意識的に、良い色を表面的には殺して深みをつけるよう織ったのでしょうが、後には、こういうもんだということで、その方法に従ちてきたのだろうとも思われます。

日本の織物に一番近いのが英国の織物

この日本の織物に一番近いのが英国の織物で、明治の始めに、西欧のものが輸入されはじめたときには、男子ものの服地など、英国のものが沢山とり入れられました。

おもしろいことに、英国のものの考え方は、日本の織物に似ているところがあります。またク織物は、縦(糸)のまま見せたいということわざがあります。縦糸のままだときれいだけど、横糸と組み合わせると、きたなくなってしまう場合もあるので、縦糸の、きれいなままの状態で見せたい、という意味なのですが、また、こんな風に考えることもできましよう。

何年も織物をしていて、縦糸だけの状態でしか見せられないはずはない。それなのに、横糸を使って、わざときれいに見せないようにしている。つまり、″知らない奴はわからないだろう″という考えなのです。

確かに染めものの色彩はわかりやすいのですが、織物の色彩はわかりにくいものです。

無彩色

縦糸と横糸をくみあわせるときに、どの糸とどの糸が補色になり、そして「無彩色」になるか、はじめは見当もつきません。(色は、彩度と明度によって決まります。また、赤、青、黄が三原色で、その色相によって赤―黄―緑―青― 赤へと移るカラーサークルを作ってみるとわかりやすいのですが、その時に向かい合わせになる色を互いに「補色」といい、赤―緑青、藍―黄、青― 橙、菫―黄緑が補色の関係になっています。補色は、互いに相手を強烈にしますが、補色どうしを混合すると無彩色〈灰、黒色〉になります。明度をおとす場合には、無彩色を入れていけばよいわけです)

化学染料と植物染料

化学染料の特徴は、影のないことです。したがって、縦糸が良い色でない場合にも、横糸に何色を使うかによって、充分生かした色合いをつくることができます。補色の考えを応用してそのいやな色が、ほかのどんな色と組み合わさったときに、効果的な美しさを現わすか、あらかじめ想像することも可能です。

ところが、植物染料の場合は、色に影があります。例えば、藍をとりあげますと、これは、青が主体で、それに澄んだ墨色が含まれています。このことは藍を濃くすると、黒になってしまうことでわかります。

また、植物染料の蘇芳(スオウ)は、化学染料では、エンジ色の明度をさげたもの、つまり海老茶色になります。植物染料のもつこういう特色が、化学染料を使う外国の織物と比べて、日本の織物をわかりにくい複雑な、それでいて渋いものにしているといえましょう。

今までは、植物染料の縦糸と横糸を組み合わせた部分の色合いの味わいを、化学染料でも出せるように、研究して来ましたが、最近では、化学染料で染めたものだけのもつよさが認められ、それを生かす方にも注意が向けられています。

植物染料は、それだけで自然の味を持っているので救われますが、人工的な化学染料の方は色彩学を充分研究した上でなければ、よい織物を作りだすことができません。

そこに私共の興味はあるのです。大体広巾物は、化学染料を用いますが、小巾(和服地) の産地で作られる広巾(洋服地)と、広中の産地でつくられる広巾では、できが違います。前者は、申しあわせたようにどぎつくうすぎたないのですが、後者は、やはりこなれています。これは先に述べた、化学染料のもつむずかしさを、如実に物語っています。

現在の日本の織物は外国の織物の真似

現在の日本の織物は、外国の織物の真似をしています。和服地の場合は、糸が細いので色がよくまざりあい、生地の面が平面的ですので、現物見本でなく、紙に書いたものや写真だけで、同じものを作りだすことができます。 一方、洋服地は、現物見本によって分析し、同じものを作ろうとするのですが、なかなか同じものができません。

虫メガネで拡大し、こまかく分析した上で作り出すのですから、当然同じであってよいはずなのに、うまくいかないのです。それは、当然の失敗です。カラー写真を接写で撮ると、その原因がよくわかります。

与えられる現物見本は、小さなきれはしです。その一部を虫メガネで拡大して見るのですから、実際の色の何分の一かの分量しか、光は反射いたしません。明度がおちているわけです。これを修正するためには、明度を面積によって何倍かにひきあげてみなければなりません。この点について、今まで少しも気づかれなかったのです。

色彩の研究の不足

このように、現在の日本の織物が、まだまだよくならない原因の大きなものに、色彩の研究の不足と、織物の品質についての調査・研究の不足があげられます。この両面からの反省と研究がなされて、はじめて、日本の織物も本当によくなることができるでしよう。

木綿について

木綿は絹とは別な味をもつ、庶民的な織物です。木綿というと、すぐ安物を想像し、軽蔑されるきらいがありますが、一概にそういったものではありません。むしろ、安いところで、たのしめるだけ、私達にとって有難い存在です。

薩摩の織工がはじめて木綿布を織った

柳さんのお話にもあったとおり、日本には、古くは麻と絹しかなかったのですが、天文年間に薩摩の織工がはじめて木綿布を織ったと伝えられています。おそらく、長崎から、オランダ船が将来したものでしょう。だから先ず九州に広まり、ついで京都や江戸にも伝わっていきましたが、古渡り唐桟というのは、その頃直接オランダから輸入されたものです。

サントメ縞という名称もありますが、これはサン・トメ(聖トーマスのポルトガル語)からとられたものです。桟留の字を当て、本綿ばかりでなく、桟留革というのもあり、後には逆に日本から輸出するようになりました。

このサントメと唐桟が、まったく同じものかどうか私は知りませんけれど、似たものであったことはたしかでしよう。唐桟の唐も、舶来を意味し、その頃は中国ばかりでなく、どこでも大ざっぱに唐と呼んでいたのです。

木綿の、比較的細い糸を使った縦縞で、藍を基調に、赤や自の縞が慎ましやかに入っています。布地もしなやかで、身体の線が美しく見えて、なかなかいいものですが、値段もわりに安く三千円も出すと、手織のが買えます。昔から、粋な好みとして、おしゃれな男女に喜ばれていますが、後には絹や染めものでも真似され、ちりめんにも染められるようになりました。

縞は平凡でも、組合せは無数にあり、紅の入ったのを、特に紅唐桟と呼んで区別しています。縞の大さや、組合せなど、一見何ということもない柄ですが、注文するとき、自分でいいかげんに創作すると、必ず失敗します。それより古い柄を見本にした方がいい。何百年にわたって研究をしつくしたものは、やはりそれだけのことはあるのです。

田舎に行くと、個人の家に縞帖というものがあって、代々の女性が織った布はしが、たんねんに集められています。そういう中から選ぶのが一番安全で、私も何冊かもっていますが、日本紙をこよりでとじたひなびた縞帖は、何だか自分のお祖母さんにでも出会ったような、なつかしい感じのするものです。

庶民に愛された柄

木綿には限りませんけれども、日本の伝統的な縞柄や格子を、ここにあげておきましよう。

庶民に愛された柄

庶民に愛されたこういう柄は、永久に絶えることはありますまい。それらは単純で、まともでいささかのてらいもなく、大衆の智恵に似て間違いがありません。去年イタリアへ行ったとき、私はあきらかに日本の縞のコピーと思われる何枚かの手織を買ってきましたが、いつまで逆輸入に甘んじているのは芸のないことです。

はじめにもいったように、シックなものに東も西もない、手近にあるものを自分で発見した方が、どれ程たのしく有益なことかわかりません。縞や格子は、思い切った大柄もいいものですが、地味なものでも、若い人が着て少しもおかしくありません。私なんか、二十代の時買ったのを、未だ捨てきれず、着つづけています。

はでになったら、羽織か半てんに仕立てるのもいいでしょう。すり切れたら、いい所をとって、帯やハンドバツグにするのもよし、そう考えると、一生使ってもおつりが出そうです。こんな手軽なたのしみがありましようか。

丹波布

忘れられている織物の一つに丹波布があります。木綿の格子縞で、模様の部分に絹が使ってある為、変化もあり、底光がして美しい布ですが、この技術は、今から三十年ほど前にまったく絶えてしまいました。

私など知っているのは、わずかに古着屋で買った切れはじ位で、しかしそれはいかにも味があり、焼きものの仕服などには、これ以上のものはありません。場所がら丹波の焼きものに似た感じで、丈夫でもあり、スポーツ着やカーテン地、格子ばりなどにはもってこいです。

どうにかして、復活できないものか、そんなことを考えているとき、つてがあって、丹波をおとずれる機会がありました。その時書いた随筆があるので、丹波布の紹介の為にあげておきましょう。

もっとも、これは最近有志の人々により、はじまったばかりの仕事ですから、未だほんとうに軌道にのったとはいえません。作品も、音の丹波ほどよくもありません。が、方々の田舎の片隅に、こんな熱心な人達がかくれていることも、知っておいていいことだと思います。


使用している写真は、京都から古布のご紹介から参考画像として出典させていただきました。

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